初めてのカナダ

Day 10 - '97/07/21 (Mon)

  初めてのカナダ


朝、7:30発のバスに乗って、Hamiltonに出発した。今日は、朝から雨で、バスも多分このせいでいくらか遅れたが、Hamiltonに着いたころには雨がほとんど止んでいた。

Hamiltonは、所轄の市町を含めて人口30万人ほどの小さな町であり、Niagara に行く途中にあるので、今日の道は昨日のとほぼ同じ道になる。平日ということもあってか、フリーウェイには、所々混雑していたが、バスが動かなくなるほどの渋滞はなかった。車で出勤しても、変な渋滞に巻き込まれることはあまりなさそうだ。

HamiltonのバスセンターからタクシーでMcMaster大学病院まで行き、そこから歩いてCRL(Communication research Laboratory)のある43号棟に行った。Litva 教授のことを聞きに行ったら、この奥が先生のオフィスだった。先生に簡単な挨拶をしていると、同じく学会に参加していたフィンランドヘルシンキ工科大 学(Helsinki University of Technology)のVainikainen教授らも見えた。Litva教授が実験室に案内して、80年代前半に作った32素子のアレイアンテナと、電波暗室に測定している8素子のアレイを見せてくれた。

その後、地下の会議室でLitva教授とVainikainen教授がそれぞれ研究内容についてOHPを使い説明された。内容についてだいたい分かったが、早口の英語はやはり分からないところもあった。また、こちらは、発表ののOHPを用意していなかったので、恥じをかいてしまった。これからも、色々な研究施設に見学したりすることがあるので(暫くは多分、日本国内が中心になるが)、日本に戻ったら、会社の紹介から研究室の研究内容紹介 までのOHPを早速作るようにする。

本来は、ここで失礼すべきだが、Litva教授にお願いして、研究室の中国人留学生らを紹介してもらい、昼休み頃まで雑談したりした。Litva教授のところ でstaffやPostDoc、大学院生を含んで5、6人はいるようで、CRLのほかの研究室にも中国人が多いようだ。西安電子科学技術大学や東南大学の出身者もおり、大学の様子を話したりもした。DSPの研究室でも、Digital Beamforming を研究している中国人研究者がいて、話ができた。

彼らとの話を通して、彼らはカナダに来て満足している人がほとんどだった。 ほぼ全員が一様に、ここの国籍を手に入れ、北米で一生を送る決心をしている様子だった。カナダの経済は全体的にはあまり芳しくないなかでも、最近の就職事情はだいぶよくなっており、特に工学系ではそれほど心配することはない様子だ。一方、ここで研究職に着くことは難しく、アメリカやカナダの学位が優位に考えられるここでは、大学での研究職に着くことが容易ではなさそうだ。

トロントに戻り、ホテルで着替えて、クィーン通り西(Queen St. W.)とチャイナ・タウン(China Town)に行ってみた。クィーン通り西は、ガイドブックで、 自分独自なファッションを見つけることができると書かれている。確かに、大学通り(University Ave.)を挟んで、クィーン通り東が高層ビルが林立するビジネス街に対し、クィーン通り西が異様な様子を見せ、建物自体が何かを物語るように、色々な表情を見せる。

もともと、何かの土産品を買うためにここに来たが、この通りには、土産品店はほとんど見かけなかった。モントリオールでは、土産品店があちこちで見かけるが、ここトロントではそういう店がかなり少ないようだ。その分だけ、トロントはビジネスが繁盛しているということだろう。また、昨日、Niagaraの 滝に行く途中、Hamilton当たりから工場などが目立ち、この地区では商業、金融だけでなく、工業も発達していることを物語る。

クィーン通り西から少し北に向かって歩くと、すぐ、中国語の看板が目立ってくる。モントリオールの中華街が小さかったせいか、ここの中華街には圧倒される。そのまま、北京の王府井が持って来たのではないかという感じだ。小さなレストラン、雑貨屋、八百屋が多いが、デパート風の建物もあり、劇場まで あるというのが驚き。表示はすべて中国語で、英語の表記を探すのが変えて苦労するくらいだ。警察までが、玄関に漢字で大きく「警察局」と書かれてあった。ここの野菜や果物などは、ほとんどそのまま道端に置いて、中国式な売り方で、値段も確かに高くなかった。ここは完全な中国人生活圏ができており、 ここで生活する分なら、恐らく英語なんかわからなくても大丈夫だろう。ただ、マンダリンがどの程度通じるかが問題だ。

ケベックでフランス語が多く使われるのに対し、ここは中国人の世界だから、中国語をより多く使う。中国語は、この国の公用語ではないが、英語を使わないといけないという理屈ではく、ここでは、そういう合理主義が生きているようだ。

ここで野菜を買っても仕方ないので、私は何軒かの本屋に入った。「星島日報」 と「世界日報」の新聞を購入した。いずれも税込みで60セント。ほとんどが広 告だが、実に100ページもある厚さだ。世界日報は、「中華民国86年」と表示しており、台湾系の新聞のようだ。

中国語の本や雑誌も数多く並んでいる。人民日報や香港の主な新聞もあり、当日の日付になっている。雑誌は、最新号が高く、前の号が安くなるが、何年前のものも置いてあった。また、本も、最近出版した新書もあれば、小説類には古本が多かった。かなり合理的にしているようだ。私は、米国留学の生活を書いた新書を購入したが、4割り引きで売ってくれた。新書の価格はどうも輸入代理店が決めており、販売店はそれに対し値引きをして販売しているようだ。また、移民するときの手引き書や、カナダ国籍を申請する場合の試験問題案内、運転免許ガイドなど、英語をあまり慣れない人をサポートするための資 料も数多くあった。


トロントの中華街

ホテルに戻る途中で、何とか土産品店を見つけて、土産品を購入して、荷物の整理をする。後は、今日買った新聞を読みながら、今回の出張にけるカナダでの最後の夜をゆっくり送るだけだ。多分、今後、ここトロントにまた泊まることがあるだろう。

Day 11へつづく


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